この記事は、バンダイナムコエンターテインメントによる音楽原作キャラクタープロジェクト『電音部』の歴史について解説する「健屋さんを軸にした「電音部」通史①」の続編記事です。

ここでも、『電音部』の歴史を「健屋花那」や彼女が魂を吹き込む「鳳凰火凛」を話の中心として解説していきます。だいたい時系列順ですが、多少前後している点もあります。ご了承ください。
ここからが本当のStage!ライブイベントと「第2部」告知の衝撃
電音部のキャラクター達の物語を描いた『電音部ノベル』。2021年10月5日にはそのシブヤエリア編が公開されました。それを記念し、PVも発表されます。
シブヤエリアの3人が喋る!動く!大賀ルキアの「天真爛漫バーサーカー」な姿、瀬戸海月の背負っているものの重み、鳳凰火凛の「ラスボス」感が表れた本格的なアニメーションです。
そして10月30日から31日にかけて、ついに「電音部」として初めてのライブイベント「1st LIVE -MAKE WAVES-」が開催されました。会場は立川ステージガーデン。
ライブの開幕前には、健屋さんが直前インタビューのためアザブエリアに潜入。
そして始まった待望のライブ。ハラジュクエリアで新曲「Distortion (feat. Yunomi)」が前触れなくお披露目されるなど、それぞれのエリアでサプライズと素晴らしいパフォーマンスが用意されたイベントでした。
シブヤエリアでは、なんと3名がそれぞれ自らの演じるキャラクターの衣装に身を包み登場。これもファンに衝撃を与えました。ちなみにシブヤ組は両日とも、開演前の注意のアナウンスを担当しています。こちらはDAY1終了後の電音部公式Twitterの動画。
「1st LIVE -MAKE WAVES-」の様子、もう観られないのかな……?と思った方もご安心を。「電音部 1st LIVE -Make Waves- Blu-ray BOX」がアソビストアにて2022年4月20日より販売されています。特典CDにはシブヤエリアにおけるダンス部パートの「I’m alive with this town by KOTONOHOUSE」など、ライブで使用された楽曲が収録!豪華なセットとなっています。
このようにますます盛り上がりを見せていく電音部。アニソン派!projectが開催する「アニソン派!楽曲アワード2021」では、4つの楽曲がノミネートされました。この4曲の中には、鳳凰火凛の楽曲「CHAMPION GIRL」も含まれています。
2022年の3月11日、ついに健屋さんが資格試験を終えて配信に復帰します。それから間もない2022年3月19日、『電音部』では「2nd LIVE -BREAK DOWN-」が開催されました。桜卯月の部と神無月の部の2部構成で、会場はパシフィコ横浜 国立大ホール。
このライブでも観るものを虜にするパフォーマンスが披露され、素晴らしいステージとなりました。しかし、それだけでは終わらないのが電音部。ライブの最後に、「第2部」の開幕が発表されたのです。それに先駆けて新たなエリア「カブキエリア」とそのキャラクターがお披露目されます。特にカブキエリアの大神纏の職業「違法DJ」は、そのワードのインパクトからTwitterのトレンド入りまで果たしました。ハラジュクエリアの桜乃美々兎にも異変が。(どうなるんだ……?) 第2部は、波乱の序曲を伴って幕を開けることになったのです。
ぶちかますぜっ!!Put Your Hands Up!!!――第2部、始動へ
2022年5月14日。健屋さんは活動を開始してから3度目のお誕生日を迎えます。この日、健屋さんによるミニライブが開かれました。¥
このライブでは、これまでに3Dで出演された配信とはまた違った趣向が。配信の中で、健屋さんの身体は渋谷(もといシブヤ?)へ。この場面で健屋さんは、電音部の「Catch a Fire (Prod. ケンモチヒデフミ)」を熱唱&乱舞します。シブヤエリアの健屋さんがアザブエリアの曲を歌うという貴重なシーン。それ以上に、闇夜に火を点けるような輝かしい歌でした。
ちなみにこの曲は黒鉄たまの曲ですが、彼女を演じる秋奈さんと健屋さんは交流も盛んなようで、2022年7月3日には秋奈さんのTwitterよりこのようなツイートが。
2022年7月には、電音部第1部のフィナーレを経て、物語を彩った全エリアの全メンバーが参加した楽曲が公開されました。
電音部ノベルの場面やそれぞれのエリアの楽曲の要素が詰まったミュージックビデオ。瀬戸海月がシスター・クレアさんのオリジナルソング「DOGMA」の衣装を着ている場面もあるなど、制作者の『電音部』というコンテンツへの情熱と出演者さん、クリエイターさんへのリスペクトも溢れる作品となっています。
「電音部」公式Twitterには、シブヤエリアのお三方のコメントも。健屋さんは収録の順番が最後だったようで、一足先にこの感動を味わった模様。
2022年5月7日からは、「電音部ラジオ」の「第2部」がスタート。9月2日および9日には久しぶりに健屋さんとシスター・クレアさんの出演回が公開されました。
2022年9月10日と11日の2日間にかけては、『#電音部 AREA MEETING -SHIBUYA-』も開催。健屋さんたちシブヤ組による歌とダンス、そしてDJたちのパフォーマンスが披露されました。2つのチャンネルが用意され、DJの部においては、サブチャンネルでシブヤ組のお三方のリアクションをリアルタイムで楽しむことができました。メインもサブも共通のコメント欄であるため、リスナーのコメントを通して3人の発言がパフォーマーに伝わる場面もありました。
この『AREA MEETING』では、シブヤ組それぞれの新曲が披露されました。健屋さんの曲は「THE ONE (Prod. Tatsunoshin)」。この曲は、電音部史上2回目の「40週連続リリース」の第1曲目でした。
2022年秋からの第2部始動に伴って加速を続ける『電音部』。ミュージックにも物語にも、一層目が離せません。
おまけ:ところでそもそも「電子音楽」ってどこから来たの?その歴史に迫る!
健屋花那さんが最強の女を演じる『電音部』。その物語が編まれてゆく舞台は、「電子音楽が世界のミュージックカルチャーの中心となった近未来」です。さてこの「おまけ」の主旨は「電音部」から大きく脱線して、そもそも「電子音楽」って何だろう?ということを歴史から考えるものです。「電子音楽とは人生だ!」みたいな精神的な話ではなく、歴史の講義的な、アカデミック寄りの読み物となりますが、もしよろしければお付き合いくださいませ。
ロマン主義時代の終焉――現代音楽の時代へ
19世紀初期から20世紀初頭にかけてのロマン主義の時代……日本でいうと、江戸時代後期から明治時代後半までにあたります。シューベルト、ブラームス、ショパン、シューマンといったラスボス達。20世紀にもなると彼らの彩った時代も終わりを告げます。「12音技法」のアルノルト・シェーンベルクなどを経て、世は「現代音楽」の時代へと遷っていきました。「4分33秒」のジョン・ケージなども「現代音楽」の作曲家ですが、この「現代音楽」については「なんだかよくわからない」というイメージを持たれている方も多いと思います。確かにこの音楽は、言葉の定義すら曖昧なのです。「前衛音楽」や「実験音楽」などのような言葉と一緒に使われる用語ではあるのですが、これらと純然たるイコールで結べるかと言われれば「うーん」といった感じです。
ともあれ、時代的には「ロマン主義」を経て「現代音楽」へと遷っていく潮流は確かに存在しており、こうした「現代音楽」の1ジャンルとしてスタートしたのが、「電子音楽」でした。
電子音楽における始祖の巨人カールハインツ・シュトックハウゼン
第二次世界大戦終結後の1950年代初期、最初の「電子音楽」が生まれます。その生みの親となったのがドイツのカールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen、1928-2007)です。彼は電子音楽史においてはもちろん始祖と呼ぶべき人物です。しかし、「電子音楽」以前に「現代音楽」の巨匠として唯一無二の存在で、例えば4機のヘリコプターから奏者が演奏する「ヘリコプター弦楽四重奏曲」のように独創性の高い作品を残し、熱狂的なファンを得ています。
テクノ・ポップの源流クラフトワーク
シュトックハウゼンの手で産声を上げ、フランスのエドガー・ヴァレーズなども取り組んできた電子音楽。しかし、当時は現在のサブカルチャーで披露されるような形態ではなく、前に述べたとおりあくまで「現代音楽」の形式のひとつでした。それをポピュラー音楽として大衆へ普及させたのが、シュトックハウゼンの故国ドイツのバンドであるクラフトワーク(Kraftwerk、※1)でした。1974年のアルバム「アウトバーン(Autobahn、※2)」。このアルバムこそ、電子楽器のモーグ・シンセサイザーのサウンドやエレクトリック・パーカッションが盛り込まれた作品でした。それまで「現代音楽」「実験音楽」としての性格が強かった「電子音楽」を、ポップな方向に仕上げたという点で、革命的なアルバムでした。
「ドイツのポップ・アウトバーンがアメリカを征服」「クラフトワーク、世界の頂点に向かって走る、走る、走る」(中略)といった具合だ。ざまあみろ!大体ドイツのメディアは今までクラフトワークのことを理解もせず、相手にもしてこなかった。
ヴォルフガング・フリューア著、明石政紀訳(2001年)『クラフトワーク ロボット時代』(シンコーミュージック・エンタテイメント)p. 89
多くの人にとって、現代のポピュラー音楽が本当に始まったのは「アウトバーン」のシングル盤がリリースされた一九七五年春に違いない。
デヴィッド・バックリー著、佐藤志緒、河野騎一郎、小川公貴、中村有以訳(2013年)『クラフトワーク』(シンコーミュージック・エンタテイメント)p. 90
それほどまでに、「アウトバーン」は「ポピュラー音楽」にとって全く新しい風であったのです。クラフトワークの音楽は日本の大衆音楽にも大きな衝撃を与えていきました。
日本の電子音楽───YMOからVOCALOIDへ!『電音部』はどんな音楽シーンを描くか!?
1950年代から1970年代にかけては、ビープ音や磁気テープを利用した前衛的な電子音楽の流れは日本にも存在していました。しかし、ポピュラー音楽の分野においてはクラフトワーク以降に電子楽器によるポピュラー音楽「テクノ・ポップ(※3)」が1ジャンルとして確立します。その時代を牽引した音楽グループがYMOでした。1980年ごろにはテクノ・ポップやエレクトロ・ポップと呼ばれる音楽のブームが訪れます。当時はシンセサイザーなどのような楽器が普及したタイミングでもあり、同時期にはP-MODEL、プラスチックス、ヒカシューといういわゆる「テクノ御三家」も活躍しました。

その後しばらくテクノの波はおさまってきていましたが、1990年代には再燃の動きを見せます。2000年代からは中田ヤスタカ氏がプロデュースするユニットPerfumeが目覚ましい動きを見せました。
今や、2007年に発売された電子の歌姫「初音ミク」などに代表されるVOCALOIDがテクノ・ポップ、デスクトップミュージック(※4)と融合し、数多くの名曲も生まれています。
巡音ルカとGUMIによる「ハッピーシンセサイザ」は、初音ミクの発売から約3年の月日を経た2010年11月22日に投稿。この曲は特に「VOCALOID×テクノ・ポップ」という現象が感じられる楽曲であると思われます。それはそうとどこまでも可愛いくまいさんをすこれ。
また、世界的な動きとして、1990年代以降は『電音部』でも切っても切れない要素となっているDJ(ディスク・ジョッキー)の文化が電子音楽へと近づいてゆくことになります。エレクトロニック・ダンス・ミュージック、すなわち「EDM」と呼ばれる音楽たちはこのような流れの中で精力的に培われてきました。
これまでにお話してきた歴史や背景もあって、電子音楽は現在のような形態へ至ります。ダンスミュージックを原点としながら、バーチャルYouTuberなどのような世界とも交差し、音楽イベントに閉じない様々なエンターテインメントに展開していく『電音部』。今後も、どのように音楽シーンを、サブカルチャーを彩ってゆくのか期待です。

注釈
※1:「クラフトワーク」の表記について
Kraftwerkとはドイツ語で「発電所」のこと。「クラフトワーク」は英語の読み方で、「クラフトヴェアク」のほうがドイツ語の発音に近いのですが、この記事では日本で普及した発音である「クラフトワーク」表記で統一します。
※2:アウトバーン
アウトバーンは「Autobahn」と書き、ドイツの高速道路のことをいいます。時速200kmでも走行できる速度上限無制限の区間があることで知られます。このアルバムにおける1トラック目の曲「Autobahn」は22分44秒ある大作。ちなみに関係はありませんが、「電音部」にもアザブエリアの楽曲で「麻布アウトバーン」という曲があります。
※3:テクノ・ポップ
この単語はクラフトワークの楽曲を日本の音楽評論家が論評する際に造った言葉とされています。ちなみにクラフトワークが1986年に発売したアルバム「Electric Cafe」にも「Techno Pop」という名前の曲が収録されています。
※4:デスクトップ・ミュージック
和製英語で、「DTM」と略されます。パソコンを利用した楽曲制作の形態、あるいはそのためのソフトウェアなどのことをいいます。
参考文献
ヴォルフガング・フリューア著、明石政紀訳(2001年)『クラフトワーク ロボット時代』(シンコーミュージック・エンタテイメント)
デヴィッド・バックリー著、佐藤志緒、河野騎一郎、小川公貴、中村有以訳(2013年)『クラフトワーク』(シンコーミュージック・エンタテイメント)
岡田暁生(2005年)『西洋音楽史』(中央公論新社)
川崎弘二(2009年)『日本の電子音楽 増補改訂版』(愛育社)
佐々木敦(2014年)『ニッポンの音楽』(講談社)
柴那典(2014年)『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)
芳野靖夫監修(2013年)『クラシック作曲家大全―より深く楽しむために―』(日東書院本社)